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2025.07.29
研究開発
ベビーリーフの名付け親 エム・ヴイ・エム
見た目が美しく味も濃いサラダ・ベビーリーフとの出会い
ベビーリーフの名付け親であるエム・ヴイ・エム商事の石田会長がベビーリーフとの出会ったのは、90年代に訪れたアメリカのカリフォルニア州バークレーにあるアメリカでもっとも予約が取れないと言われるレストラン「シェパニース」でした。
「シェパニース」はオーガニックの母と言われるアリスウォータースがオーナーの地元産の有機栽培食材を用い、『カリフォルニア料理』と呼ばれる料理を創作したことで有名なお店。そこのメニューで目をひいたのが、色とりどりの形が異なる野菜の幼葉ばかりのサラダ。一葉一葉にしっかりと味があり、赤や緑の彩りも美しいこのサラダに感激し、ぜひ日本に持ち帰って広めたいという想いからすべてが始まりました。

↑アリスウォータースと石田会長
1994年、アリスウォータースから紹介された「シェパニース」でシェフをしていた生産者からオーガニック栽培のベビーリーフの輸入を始めました。 色々な野菜の幼葉を摘み取ってミックスした野菜を石田会長は「ベビーリーフ(BabyLeaf)」と名付けました。今では世界各国でもベビーリーフという名前が浸透しています。 石田会長はカリフォルニアで自身が感動したサラダを日本人にも知って欲しいと「ベビーリーフ」を広めることに奮闘しました。

↑レストラン・シェパニースとアリスウォータース
↓シェフ・トッドクーンのパンフレット

ベビーリーフの船出は困難の連続
MVMは1994年に日本で初めてオーガニック・ベビーリーフの輸入にトライしましたが、最初は困難の連続でした。 オーガニックであるが故に農薬を使えず害虫が多くくっついていました。虫がついている野菜は港で全て廃棄しないといけませんでした。 何とか日本国内に輸入できたとしても、日本の暑さでは鮮度を保つことができずほとんどが売れずに廃棄となる毎日でした。

それでも石田会長は日本にベビーリーフを広めたいという信念を諦めきれず、遂に決心をします。「輸入が上手くいかないのであれば、日本で栽培をしよう!」と。 石田会長は早速トッドクーンに掛け合い、ベビーリーフの種を分けてもらいます。 そして1996年、丹波市山南町で薬草栽培をしていた生産者グループにベビーリーフの栽培を依頼します。これが初めて日本国内でベビーリーフが栽培された瞬間でした。

↑ベビーリーフの生育状況を確認する石田会長
取り組み始めた当初は「こんな雑草は売れない」「食べ方が分からない」と販売に苦戦しましたが、徐々に高級ホテルや有名レストランのシェフが取り扱ってくれるようになり、10年後の2006年ごろには関東の多くのスーパーなどでも取り扱いが増え、栄養価が高く、味も良く、簡単に彩り豊かなお洒落なサラダを作ることができると今では食卓に無くてはならい野菜の1つにまで広がりました。
ベビーリーフの栽培と販売が軌道に乗った2006年、ベビーリーフの生誕の地丹波市山南町に自社農園となるベビーリーフ専用圃場「株式会社丹波野菜工房」を設立します。





神戸大学との出会い
ベビーリーフを国内で栽培しようと考えた際、石田名誉会長が協力をお願いした方が、神戸大学農学部津川教授でした。 これがきっかけとなり「神戸大学」と「エム・ヴイ・エム商事」は長年パートナーとして良好な関係を築いてきました。 現在でも神戸大学 農学部 山内教授 とベビーリーフの栄養面や栽培面などについて共同研究を行っています。
↓丹波野菜工房にて撮影
左からエム・ヴイ・エム商事(株) 三宅、神戸大学 山内教授、(株)丹波野菜工房 前田(敬称略)

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